Op.2の世界観を今一度考えてみる
※この記事は音楽ゲーム『ノスタルジア』シリーズに関する感想や考察が記載されております。各種情報に関してましては、以下のサイトの閲覧をお勧めいたします。
【プレーガイド・収録楽曲紹介】:ノスしるべ
※また、ここでは『ノスタルジア』シリーズのストーリーに関するネタバレが普通に出てくると思われますので、まだ見ていない部分がある方はご注意ください。
※なお、今までの記事との齟齬や矛盾が現れると思われますが、あくまで「記事が書かれた時点ではそう思っていた」と捉えていただければ幸いです。
そろそろ、でございましょうか。
ノスタルジアOp.2のエンディングが解禁された日を迎えます。6年前ですって。
現在、Real譜面の解禁が進んでおり(一部すっ飛ばされておりますが)、それぞれの楽曲にまつわる場面の回想を美味しく味わったりもしています。
で、エンディングの日ということで、今回はOp.2ストーリーを包んでいた世界観というか舞台の構成というか、そういった所に触れてみたいと思います。特に最後の方。
世界といえばマップ画面。もはやぐぐっても画像は見つかりませんが、3つのエリアで構成されていましたね。文字で何とか作ってみましょう。上からになります。ご覧のブラウザによっては盛大に崩れます。おそらく。
+++
≪マップ3≫
[記憶の終着駅]
[はじまりの場所]
[最果ての研究所]
≪マップ2≫
[試練の活火山] [雲のエアポート] [眠らない工場]
[化石の砦]
[雨の街] [真夜中の湖畔]
≪マップ1≫
[小さな家(少年)] [小さな家(少女)]
[砂の国] [水晶の谷]
[旅立ちの海] [おもちゃの王国] [風の丘]
[はじまりの街] [忘れられた廃棄場] [目覚めの森]
+++
だいたい、だいたいこんな感じだったでしょう。ちゃんと見れてるのかな…。
それぞれが浮島として点在しており、ストーリー開始時に登場した列車に乗って飛び回っていました。(ムービーでは移動の描写はだいたい省略されていましたが)
マップ1は、少年と少女の旅路から解禁されていき、途中でロボットの旅路が始まりました。新キャラの追加など私は全く予想していなかったので当時は混乱したものでした。
マップ2では更なる新キャラである白い鳥が登場した他、それぞれの旅路の終点が配置されています。きれいに四隅なんですよね。
そしてマップ3にて、今までの旅路が「集められた記憶」であることが明かされ、それらを基にして猫自身の記憶が開放されました。その後、最終ステージが出現し、そこでそれぞれのエンディングを見ていく事になります。
この、マップ3での急展開というか急転回とも言えそうな数々の変化に当時の私は正直ついていけてない部分が多く、ストーリーの考察などと記事を書いたりもしましたが、世界観については不足もあったなぁと今更ながら考え直したのでございました。
もちろん今回の考察も正しいのかどうか分かりませんが。
さて、ポイントとなるのは、最果ての研究所のムービーの最初で、猫が眠りから覚めている所です。目覚めた場所にはそれぞれの旅人の記憶が納められているであろうガラスの容器(Vitro!)が並べられていたので、夢を見るという形で記憶を読み取る事ができるのでしょう。つまりマップ1から2までの旅路は、この研究所内で見ていた長い長い夢だったと言えます。
また、研究所と言うからには何かを解明する目的があります。それこそが扉の向こうに繋がっていた猫自身の記憶と目的です。ストーリーの始まりに、猫はピアノが佇むだけの小さな小さな島にいました。
唯一与えられている情報は、ピアノのシンプルで短い旋律のみ。
私たちはこう思ったはずです。
「ここはどこだろう、この猫は誰だろう」
まさにOp.2ストーリーは、その疑問の答えを見つけ出すための旅だったのでしょう。
では、そこに旅人たちがどう関わってくるのでしょうか。研究所の扉を開くのに、なぜ旅人たちの記憶が必要だったのでしょうか。
一つには、猫自身の記憶のムービーに、住んでいたピアノをそれぞれが訪れていて何らかの縁があったというのがあります。自分が何者かを追い求める旅の中で、無意識に彼らを探していたのかも知れません。
二つ目は、それぞれの最期に至る場面の終わりに、暗闇の中で聞こえてきた例の旋律です。ストーリーの始まりも暗闇の中の旋律でした。という事は、マップ2までの流れの中で、猫自身もまた死の経て今に至っている事や死の間際に求めていたものも共通している事が推測できるようになっていたわけです。当時分かった人いたのかな。
そんな旅人たちの記憶、経緯のみならず心情も含めて統合した時、自身の見失っていた記憶が強く共鳴し、呼び起こされたのでしょう。かくして扉は開き、はじまりの場所を見い出すことができたのでした。
はじまりの場所にて、猫の経緯が語られます。ピアノの下という住処で、狩りに失敗して傷ついた母が力も尽き、幼い猫自身も母のそばで母を求めながら生涯を閉じました。その記憶は光となって、はじまりの場所に宿ります。
ここで、Op.2の世界そのものが、死者の記憶が集まる所、死者の心が辿り着く所という点が示されています。また、他の旅人たちも、母(もしくは同等の存在、まとめて母扱いしちゃいます)を求めながら死んでいった事も推測でき、例の旋律が母の愛に強く結びついているという想像もできるでしょう。
で、そういう舞台だったのかと思いきや、最後にもう一つ、記憶の終着駅が追加されたわけです。
マップの位置関係から、はじまりの場所の次なのかと思ってしまっていましたが、その場面の最初に、自分が目を開いた時のような演出(初代のChapter1と2のような)が入ってる事を見逃してはなりません。
つまり猫が目を覚ましたのです。最果ての研究所やはじまりの場所ですら夢の中の出来事だったという事になります。
結局の所、全ての死者はこの記憶の終着駅に集められ、夢を見るような形で研究所に入り、自身の記憶や目的を(駅だけに)列車に乗って飛び回りながら整理するようになっているのでしょうか。それって何だか死の間際に見るという走馬灯に似ていますね(phantasmagoria!)。
そんな記憶の旅路の中で出会ったそれぞれが、旅を終えて記憶の終着駅にて再会した、というのがムービーで表されていた場面なのでしょう。
記憶の終着駅は最初、どこまでも美しく広がる花畑の姿をしていました。安らぎを妨げるものは何もないようにも見えて、まさに私たちが憧れる死後の世界ではないでしょうか。
しかし、唐突に花々は全て枯れ果て、世界は色を失い、やがて割れ砕けて暗闇に閉ざされた小島に変わります。それが記憶の終着駅の本来の姿のようですが、そこには彼らを導く光がありました。その光はそれぞれの母の姿を映していたため(厳密には猫の母は別途なのですが)、我が子が本当に求めているものを忘れさせないため、母の心があえて乗り込んできて花畑を砕いたのかも知れませんね。(花畑は、世界が死者に気遣っての姿だったのでしょうか)
となると、母たちも記憶の終着駅にいる=死亡しているという事になります。確かに白い鳥は卵の時から独りでしたし、捨てられたロボのそばには母が既に機能停止していましたし、少年と少女の母は既に病弱で、結局助からなかったとしても不思議ではなく、猫に至っては明確な描写がありますね。
そして導きの先、島の果ての向こうには新しい未来が映し出されており、列車に乗った母が迎えに来てくれました。記憶を巡る為に列車を提供しているこの世界ですが、死者の意志に応えて新たな記憶を提供するサービスもやっているようです。
といった所でしょうか。今回はOp.2の世界そのものについての考察なので、それぞれのエンディングなどシナリオについて必要以上に触れる事はしませんでした。
今回は、Op.2の世界は3枚もマップがありながら、実際には記憶の終着駅で寝起きしたりうろうろしてただけだったんだなぁ、という驚きを今更ながらに感じたのでこの記事を書いたのでした。合ってるかどうか知らないけど、すごい設定考えるよね。
ではまた!
Op.2ストーリーのスケジュールって
※この記事は音楽ゲーム『ノスタルジア』シリーズに関する感想や考察が記載されております。各種情報に関してましては、以下のサイトの閲覧をお勧めいたします。
【プレーガイド・収録楽曲紹介】:ノスしるべ
※また、ここでは『ノスタルジア』Op.2のストーリーに関するネタバレが普通に出てきますので、まだ見ていない部分がある方はご注意ください。
もう結構経っていますが、初代はやったのにOp.2はまだなのかと思われていたであろう、ストーリー楽曲のReal譜面解禁が続いております。だからと言って当時の解禁時期に合わせているわけでも何でもなく不定期にやっているようですが。
と言ってる間に、いつのまにかOp.2ストーリー中核の楽曲「minnne」が解禁された日を過ぎました。あの瞬間の到達感はそうそう味わえないものでしたね。
で、この解禁時期について、当時も感じていた人は多いかもしれませんが、解禁内容とその時の季節がだいぶ合っていて、他の作品よりも没入感が増していたように記憶しています。
最初、Op.2が稼働したのは9月末。夏を過ぎて秋へ向かう丁度どちらでもない空白の時期に、主人公の猫は目覚めました。ここはどこか、何をしていたのか。プレイヤーも同じことを考えながら、何故かそこにあったピアノを触り、宙を走る列車に導かれるままに旅を始めたことでしょう。
同時に少年と少女のルートが「小さな家」まで収録されていました。季節の合間とは言えまだ暑さが残る中での海や砂漠の旅での楽曲、一方で収穫に向けて大詰めの時期でもあり、そちらは豊穣の丘や水晶が充実した谷に楽曲が対応しています。
しかし小さな家に辿り着くと、未知なる過去を考えさせられる、猫と同様の空白に引き戻されるのです。
次の解禁は年明け。ロボットの目覚めを彩るエコーの効いたエレクトロポップは、冷たくも眩い冬の日の出にもぴったりです。それに続く「おもちゃの王国」での楽曲は、屋内の暖房の温かさを感じさせてくれます。一方で外の現実を仄めかすものもあるわけですが…。
もう一つ、少女ルートの一つ目のゴールが解禁されました。冷たい雰囲気の夜の水辺と、そこで思い出したのであろう母の優しさを歌うそれぞれの楽曲は、一人では身震いするしかない冬の夜の現実を知らされつつも和らげてくれました。
冬を乗り越えて春を迎えた4月に、白い鳥のエピソードが始まります。荒涼とした廃墟に孵化した一つの卵は、あらゆる命が目覚めるであろう春の季節にぴったりです。また、その後の自由に空を謳歌する喜びは、これから動きやすくなる私達にも力強い後押しになったのではないでしょうか。
しかし、そこから1か月後、夏の手前には白い鳥の一つ目のゴールまでが先に解禁されます。火山と溶岩という舞台だったので季節を当てはめる余地はなく、これについては「お、おう」という感じでした。
(ストーリー自体はやはり考えさせられるものでしたが)
7月になり、梅雨の盛りで毎日がどんよりとしている中、少年ルートの一つ目のゴールが開かれました。
舞台となる「雨の街」、そして引き出された嵐の記憶。それぞれを表す楽曲たちはゲーセンの外の天気にも追い打ちをかけそうな程、訴えかけるエネルギーに満ちていました。
8月はついにアレが来るのですが、同じ8月にはまず上旬にロボットの一つ目のゴールが解禁されます。工場の奥深くでこれも季節を問えない舞台なのでこの記事ではまた「お、おう」なのですが、ストーリー自体は重く問いかけられるものがありました。
そして、下旬。
社会的には夏休みが過ぎ、まだ暑いながらも夏の記憶をふと振り返るような頃。
旅人たちの記憶を歩んできた猫が目覚め、ついに自身の記憶に触れる時を得ました。
(ここからの流れは、また別の記事で再考できたらいいな)
最後には過ぎ去るものとなってしまったけれど、特別で無二の価値ある懐かしき日々。今もこの時期にはminnneが心の中に響き渡ります。
さて、Op.2開始からちょうど一年が過ぎた段階で、ストーリーは最終章の幕を開けます。
「記憶の終着駅」。猫が最初に目覚めたその日に、最後の舞台でまた目覚めました。
(この辺の関係性も以下略)
経緯は色々あれど、同じ終着に至った旅人たちはやはりここで再会します。どこまでも続きそうな花畑で喜び合う一同でしたが、やがてすべては枯死し、暗闇に包まれます。私の解釈では、それぞれの内なる願いがそこに居続ける事を拒否したからと考えているのですが、ともかくそれぞれが行く宛もなくさ迷う試練が始まります。時は10月、やはり季節の合間のどことも言い難い空白の時期でした。
あとは毎週、それぞれの順番でエンディングを迎えていくわけですが、ちょうど10月の最終日、季節の隙間の終わりに、猫自身の、そしてOp.2全体のエンディングに辿り着いたのです。
…といった感じで、まったく個人的な感性に基づく、ややこじつけもありそうな内容で、そもそも製作者側の意図など何も知らないわけですが、Op.2ストーリーの解禁スケジュールが季節の流れにとてもよく合っていたのが今でも強く印象に残っていて、よく出来てるなぁ、とたびたび思い出しては感心している次第でございます。
というだけの記事でございました。
お暇つぶしになったなら幸いです。
全然ノスじゃないんですけど。2
※こちらのブログでは普段は音楽ゲーム「ノスタルジア」の、文字の無いのが特徴のストーリー演出からシナリオを個人的に解釈した記事を載せていますが、今回は「ノスタルジア」とは全く関係のないものを話題としております。
※この段落は前回のコピペです。本編は次から※
今、これをご覧の皆さんは、「全てあなたの所為です。」という名前の音楽配信者をご存知でしょうか。句点も含めての名前であり、「すべてあなたのせいです」と読むようです。
レトロな電子音を織り交ぜた、どこか郷愁を感じさせる曲調で、歌い手に「UTAU音声ライブラリ」(いわゆる歌えるゆっくりボイス)らしき声を使用して更に無機質なレトロ感を強化しているのが特徴です。また、曲中にモールス信号などのギミックが混ぜ込まれている事が多く、聞き手の興味を深める要素もあります。
それ以上に歌詞が非常に文学的というか独特で、その難解さが曲調とあいまって心の深い所を刺激するのか、リスペクト曲が多数投稿されるほどの認知度があります。(→すべあな界隈)
しかし歌詞が言おうとしていることを何かしら捉えることができれば、決して無秩序な言葉の羅列ではない事が見えてきます。
もちろん、それが正解かどうかは分かりませんが。
前回は「表」と「裏」の2曲について、歌詞や相互の関係性を自分なりに読み取ってみましたが、もういくつか好きな楽曲があって、今回は2020年に投稿された「エヌ」について歌詞の解釈に挑戦したいと思います。
(動画はこちら)https://www.youtube.com/watch?v=FzYyDPS4cEU
楽曲の構成としては、ポップなリズムで少し寂しげな旋律といった組み合わせと言えるでしょうか。体は軽快に揺れ動きながらも表情は哀愁を帯びてしまう矛盾のような奇妙さが魅力と言えます。
動画では雨の夜の横断歩道(信号付き)が終止映し出されており、動きといえば間奏中に歌詞に出てくるキャラクターがそこを渡っていくぐらいのもので、それもすぐに記憶から流されてしまい、気づけばまた一人で物思いに耽っているような静けさを感じられます。
さて、今回の全体的なテーマは何だろうかと探し始めるわけですが、例に漏れず象徴的な言葉が多く用いられていて非常に難解な歌詞でございます。
ということで、ある言葉から連想されるものを全体にも当てはめてみて…といった試行錯誤を続けていった結果、何とか「これではないか」と思えるものが見つかりました。
それがまあ、巡り巡って一番最初だったわけなんですけども、
国道沿いの海で可視光線が笑い 斜め後ろの熱病は 推敲を重ねると言う
という所で、動画に引っ張られている気もしますが、まずは夜の海沿いを想像しました。可視光線とは人の目で認識できる光の事で、つまり人工の照明であると強調したいのでしょう。笑うという事は動きがあるので、車でも通り過ぎたのでしょうか。
そうした場面と出来事を通して、熱病が「推敲を重ねる」と言ったわけです。しかし文字通りの熱病ならそもそも動けないはずなので、この国道にいる人は熱病に似た何らかの心情に突き動かされてそこに居たのではと想像できます。斜め後ろというポジションは、背中を守りながらも振り向けばすぐ見える信頼の位置づけでしょうか。
推敲とは作った文章をより洗練させる為に時間をかけて書き換える作業を言いますが、要は熱病が「やっぱり今ではない」と躊躇したのでしょう。
国道沿いの海という人の居ない場所、熱病のように突き動かされて…という要素を繋げると、この人は海に飛び込む自殺を図っていたのではないかと推測します。しかし、不意に通り過ぎた車の強い光が我を取り戻させ、熱病が一旦鳴りを潜めたのではないでしょうか。
という事で、それ程までに追い詰められている心境を後に続く歌詞の土台に据えてみると、わりと筋の通った解釈ができた気がするので、ご興味があれば引き続きご覧くださいませ。
今のが1番のAメロの半分になりますが、続きの歌詞がこちら。
天狗の面を被った懐かしい栄養が ゴミ捨て場から飛び降りて 明日が転がった
いきなり天狗が出てきて混乱してしまいますが、天狗と一言で言っても種類が多くて更に分からなくなってきます。一方で天狗は神の使いで、だからこそ上から目線という特徴は割と共通しているようです。また懐かしい栄養という表現は、幼いころから自分を養っていたものという意味なのだと思います。
これに従えば、自分を育ててきた人々や教えが自分の感性とは相容れず、上からの押し付けと感じている反抗心が浮かび上がってきます。それが過剰となり熱病に至ったのでしょう。
しかし、その栄養がゴミ捨て場から飛び降りたと言います。捨てたのはおそらく本人でしょうが、飛び降りてくる=自分の手元に返ってくる、そして明日が転がる=明日という時が来る、と考えると、上からの押し付けから決別したいが結局その術はなく、与えられた明日を生きるしかないという心境を表しているのではないでしょうか。
それからBメロの歌詞に移ります。
放射状の四季と それを食べる怖さ
放射状とは、一点から四方八方に広がった形だそうで、そこには中心がある事を考えると、これもまた誰かが遠くから放っている四季、つまり押し付けられた日々を想像できます。それを食べる=受け入れるのは、反抗心に駆られている現状では到底不可能でしょう。自分が自分でなくなってしまうのでは…そんな怖さかも知れません。
爪先立ちでも足りないのです 因数分解とオタマジャクシは 刃物で日記を混ぜました
爪先立ちは限界までの背伸びですが、どう頑張っても解決の糸口を見いだせない現状のようです。次の因数分解は学校で初めて出会う数学用語でしょうから、続くオタマジャクシは音符の通称と捉えていいでしょう(つまり音楽の授業)。とすると、熱病を発する反抗心は学校教育に対するものなのでしょうか?
それらが刃物となり、日記=自分の本心を表現できる場所がズタズタにかき乱されたような思いをさせられているのが現状と考えられます。
そしてサビに入ります。曲全体を貫くメッセージを込める箇所でしょうから、重要です。
私は細胞ですが 肉はエヌですか
ギザ十が泣いていました 井戸は見えますか
今までの流れから推測すれば、細胞は個人、肉は細胞の塊なので集団と見ていいでしょう。エヌというアルファベットは否定の言葉に付けられることが多いです(No・Never・Negativeなど)。
とすると、この一文から、「私も一人の個性を持った人間だが、私はこの世界に相応しくないのか」という孤独感に満ちた悩みが読み取れます。
ギザ十とは淵にギザギザが入った十円玉で、古銭とまでは言わずとも稀にしか見ないタイプのものです。自分のマイノリティさをそこに見い出したのでしょうか。
井戸はあえて覗き込まないとその中までは見えないものです。自分を否定する人々に対して、十分に向き合ってくれていないと嘆いているように思えます。
総じて、「いわゆる”普通”とは違う個性を持った若者の苦悩」がサビのメッセージであり、エヌという楽曲のテーマなのではないかという所に辿り着きました。
続いて2番の歌詞を見ていきましょう。
というか、ここまでやっておいて難ですが、2番は全体的に難解すぎます…。
お地蔵様は緩み アナクロの曇り雨
夢見心地のビーカーは 妙な感じがすると言う
アナクロは時代錯誤の意味ですが、時代に合わず生きづらい自分の感性を言っているのでしょうか。
お地蔵様は仏に代わって現世の人々を慈悲の心で見守り、また救済への手助けをしてくれる存在なんだそうです。それが緩むとは、姿が不明瞭になる=優しく守ってくれる存在が既に居なくなった事を言っているのでしょうか?
ビーカーは実験用具の象徴だと思うので、夢見心地で色々とこねくり回せる、つまり自分自身を一人で楽しんでいる時間という推測ができそうです。しかし妙な感じがする、これじゃない感、結論としてもう一つ満たされない現状なのかも知れません。
サビで言っていた井戸を覗き込んでくれる誰かが欲しいのでしょうか。
Aメロの続きになります。
無痛の地下室では 白夜とは呼べないが
ぬいぐるみが溺れていた 待ち合わせの音
地下室を無痛と呼ぶのはつまり、地上では痛みがあるのでしょう。上記の夢見心地と繋がっていると思います。白夜は夜の時間でも明るく昼夜の区別がつかない状態を言いますが、その点では地下室はまさに白夜の空間と言えそうです。しかしそうも呼べないという事は、一人遊びの楽しみも永遠には不可能だと自覚しているのかも知れません。
そんな長い時を過ごす中で、待ち合わせの音がする…つまり目覚まし時計か何かで一人遊びからの別れを宣告されたという状況でしょうか。1番の「明日が転がった」を連想させます。
ぬいぐるみですが、特に幼少期には日頃の友達よりも自分自身を明かせる相棒になりやすい一方で、遠からずそれが想像上の友情である現実も悟らされます。なのでここは、待ち合わせの音に溺れていた、と読めるので、現実に引き戻された事を強調しているのでしょうか。
次のBメロなのですが、ここの最初個人的に一番難解で、ぶっちゃけ分かりませんでした。
紙粘土が暮らす 除草剤のままで
紙粘土と除草剤の関連性など見い出せないですし、しかも除草剤入りの紙粘土ではなく逆だしと、連想を阻む要素しか感じられませんでした…。
続く歌詞を見ていると、心情的に身動きが取れないって事、なのか?
で、続きはこちら。
檻の曜日より 葦が行うデジタルデータは
今でも達磨で 8×8=64(はっぱろくじゅうし)の名残です
葦が行う、とありますが、行うという事は葦は何かの生き物の象徴であると考えた所から、「人は考える葦である」を連想しました。人のデジタルデータとなれば、つまり脳内なのでしょう。つまり、檻の曜日=学校教育に押し込められる平日に、自分の脳内を楽しんで対抗している、という事でしょうか。
達磨は転がしても自力で起き上がる構造をしている所から縁起物とされていますので、脳内に保っている自己肯定感をどうにか支えにしている、といった感じがします。
8×8=64もまた分からない部分なのですが…名残という事は思い出があるのでしょうか?デジタルデータと掛けている(8はコンピュータに縁深い数字です)表現なのは確かだと思うので、あまり字面に囚われる必要もないのでしょう。とすると、例えば「はっぱろくじゅうし」の音の楽しさを自分の物として得た時の喜びのような、今の自分の個性にまつわる思い出が達磨のように自分を起き上がらせてくれる…とか、そういう事なんでしょうか?
この後は、またサビが歌われ、Cメロへと入っていきます。
新しい解剖はあり得べき それに気が付いても脅かされ
確証バイアス達は かく語りき
解剖はサビの細胞と掛けたのでしょうか。解剖は中身を知る目的で行われるので、自分が持つ世界観や解釈が受け入れられてもいいのではないか、という訴えなのだと思います。しかし何かに脅かされて表に出せない状況なのでしょう。
それが何かというと、直後の確証バイアス達なのだと思われます。確証バイアスとは、都合の良い情報ばかりを根拠として正しさを主張する傾向のことで、つまりは学校教育が自分の「解剖」を一顧だにせず、従来の正しさばかりを(100%真実なのか分からないくせに)力づくで押し付けてくる、と言いたいのではないでしょうか。
後はサビが繰り返され、最後の「井戸は見えますか」の後、
何が見えますか
で締めくくられます。
井戸でなければ何が見えているのか、とも読めますし、井戸の中にあるものが分かりますか、とも読めますが、いずれにしても、「さて、あなたは私を見つめてくれますか?」と、この曲を聴く人に直接問いかけているように感じられます。
というわけで、「エヌ」の歌詞を自分なりに解釈してみました。この解剖はどんなものだったでしょうか。
エヌとされて苦しむ人の心を見つめることは、なんだか引きずり込まれそうで正直怖くはありますが、しかしよくよく話を聞けば、自分も似た苦しみを味わった事があったり、それ以上に「つっても誰だってそうじゃないの」とオチがついたりするものだったりします。
それでも本人を過剰に苦しませてしまう要素があるとすれば、確証バイアスを押し付けてしまうどこかの仕組みや、その起因となる私たちの無意識に根付いた価値観の一部がそうなのかも知れません。
「深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いている」ではありませんが、エヌを忌避する心理こそがエヌをより生み出しているのは確かなのでしょう。私も気を付けなければなりません…。
全然ノスじゃないんですけど。
※こちらのブログでは普段は音楽ゲーム「ノスタルジア」の、文字の無いのが特徴のストーリー演出からシナリオを個人的に解釈した記事を載せていますが、今回は「ノスタルジア」とは全く関係のないものを話題としております。
今、これをご覧の皆さんは、「全てあなたの所為です。」という名前の音楽配信者をご存知でしょうか。句点も含めての名前であり、「すべてあなたのせいです」と読むようです。
レトロな電子音を織り交ぜた、どこか郷愁を感じさせる曲調で、歌い手に「UTAU音声ライブラリ」(いわゆる歌えるゆっくりボイス)らしき声を使用して更に無機質なレトロ感を強化しているのが特徴です。また、曲中にモールス信号などのギミックが混ぜ込まれている事が多く、聞き手の興味を深める要素もあります。
それ以上に歌詞が非常に文学的というか独特で、その難解さが曲調とあいまって心の深い所を刺激するのか、リスペクト曲が多数投稿されるほどの認知度があります。(→すべあな界隈)
しかし歌詞が言おうとしていることを何かしら捉えることができれば、決して無秩序な言葉の羅列ではない事が見えてきます。
もちろん、それが正解かどうかは分かりませんが。
今回は、そんな「全てあなたの所為です。」から「表」と「裏」の2曲について、自分なりに見えてきたイメージがあったので書いておこうと思いました。
(動画「表」→)https://www.youtube.com/watch?v=7OEOF6mCzIU
(動画「裏」→)https://www.youtube.com/watch?v=1tN3A693OPM
この2曲は歌詞とメロディーは同じものを共有しながら、「表」がホラーチックな方の和音展開、「裏」が穏やかな方の和音展開を用いており、セットで発表されているのでこの2つで1つの何かを伝えようとしていると思われます。
何に対して表なのか、また裏なのか。そのカギを握るのはやはり歌詞にあるのでしょう。(なお、歌詞全体を貼り付けるのはちょっと何かに引っ掛かりそうな気がするので、お手数ですが検索してみて下さい)
しかし、上から順に取り掛かろうとしても、何が何やらになってしまいます。
例えば、その一番最初は、
絡まった電線が解けなくて 屋上に夜明けの晩のチャイムが響く
ですが、そのまま読んでももちろん、何の事を言っているのか解釈しようにも見当がつきません。
なのでイメージが伝わる所から、上記のような他の部分にもそれを当てはめて、全体が繋がるようであればそれが一つの解釈になるのでは?という方法を採りました。
そうして読み進めるうちに、「電線」「電話ボックス」「電子」「光ソリトン」という言葉が出てきて、通信関係の何かがテーマなのではないかと思いつきました。特に光ソリトンは光ファイバーに関する用語だそうで、そうするとインターネットおよびネット世界が深く関わっていそうです。また、各動画の最後に、歌詞のある部分に繋がりそうな音が鳴っています。
それらを総合すると、表裏と言っているのはネット世界からの「表」(現実)、と「裏」(ネット内)という意味なのでしょうか?
ともかく、その線で歌詞を読み解くことにしてみます。
先程の最初の歌詞、
絡まった電線が解けなくて 屋上に夜明けの晩のチャイムが響く
は、つまり「ネットに夢中になって抜けるタイミングを見失っていたら朝になってしまった」ということでしょうか。チャイムは田舎によくある町内の時報を思わせます。
続いて、
還り道ヂリリと左の方で ベルの音が聞いて欲しそうに鳴った
とあります。「帰り道」とは違う漢字を使っており、「還る」とは元の所に戻されるような使われ方をしますので、仕方なくどうにかネットを切断したという状況でしょう。ベルは「左の方」と距離の近さが書かれているので目覚まし時計でしょうか。
総じて、現実の日常が呼んでいる、と見ることができそうです。
ここまでがAメロで、次からBメロになります。
小さな窓があり 真っ赤な屋根の電話ボックスが手を招き
出鱈目な抑揚で 声をかけてきたのです
レトロな時代の電話ボックスを思い出させる表現ですが、ネット世界という基準に当てはめてみると、つまりパソコンの事を言っているのではないかと考えます。そしてレトロ繋がりで「出鱈目な抑揚」と言う時、昔のインターネット接続手段である「ダイアルアップ接続」の音が思い出されます(世代によりますが)。
つまり、ネット世界にいつでも入れる、ある意味複雑な状況を描写しているように見えます。
それからサビに入ります。
ぬめりとした呻き 穏やかな不協和音
ガチャリと折れる腕 箱の中の鵺(ぬえ)の鳴く声に
耳を澄ましてはいけません
2番の同じ箇所との絡みが前提になってしまうのですが、呻きの部分は自分自身の心境を表していそうです。現実の生活にだいぶ重いものを感じているのでしょうか。
不協和音とは先程のダイアルアップ音の事でしょう。あの音を穏やかに感じるのはネットへの依存度の高さを思わせます。
次の「折れる腕」ですが、何を指しているのか見当がつきませんでした。ネットのためにキーボードやマウスを構えれば腕は折れますが、どこかピンと来ません。
続く「鵺」は正体不明の妖怪だそうで、知識がなければ謎の不協和音である例の接続音の事で良いのかなと思います。接続機器はパソコン内に組み込まれているものなので、箱はパソコンの事でしょう。
その上で最後の「耳を澄ましてはいけません」に繋げると、現実は重苦しいがネットの誘惑に負けてのめり込んでしまうのも如何なものか、という葛藤が感じられます。
2番のAメロに入ります。少し視点が変わるでしょうか。
枝の無い電子が流し込まれて 侵された合目的的ヘモフォビア
枝の無いとは繋がりのない所、つまり自分の範疇の外でしょうか。電子は最初に通信関係に結び付けましたが、ここに限れば外からの刺激と読み取れます。
合目的とは「目的に合った(意訳すれば好都合な)」、ヘモフォビアは血液恐怖症の事だそうで、ヘモフォビアでないにしても楽をするために自分の持って生まれた弱さを利用する姿勢が伝わってきます。
それが外からの刺激で侵された、つまり弱さを解決できるようになったから甘えるなと言われた、みたいな出来事があったのでしょうか。
続きます。
手回しの自我意識が腐り落ち 底無しの静寂(しじま)に骨身を浸す
上記の出来事のせいか、弱さを用いてどうにか認められてきた存在感がいよいよ役に立たなくなり、自分の意味の無さという限りない静寂に沈められてしまったという絶望的な現状を描いていると思われます。
次にBメロです。
三つなる兆候に気付かないまま 光ソリトンの赤い灯が
出任せの衝動を 仄めかしてきたのです
光ソリトンは光ファイバーの用語と触れたように、1番の歌詞のごとくネット世界の誘惑が表れています。しかしAメロによれば状況が深刻化しているので、誘惑の強さは段違いなのでしょう。出任せで感情をぶつけられるのもネットの一側面ですし。
そう考えるとネット世界が気づかせなくする「三つなる兆候」とは、人間の三大欲求を言っているのではないかと推測できます。使い方次第で寝食をいくらでも忘れられるのがネットの良し悪し……性…性……うーん。
2番のサビに移ります。
不明瞭な憂い 歯と歯が重なった音
ガチャリと閉まる喉 三寸五分の煙突の方
目を合わせてはいけません
申し訳ないですが一番解釈しきれなかった部分です。
不明瞭な憂いは、自分の将来への不安だと思います。それに対してネット世界への現実逃避という誘惑がサビの流れだと考えているのですが、歯と歯を重ねるような物とは何でしょう?1番の腕の動きに合わせるなら、ネットに入るに当たって口を閉じる=現実に対して何も発さない、という解釈もできはしますが…。
三寸五分は約10cmで、煙突のような形と組み合わせるとWiFiアンテナではないかと推測しますが、これも急に時代が変わるようでイマイチ、です。
次に間奏として、左右からバラバラに思えるカナ文字が音程を持って発音されます。
これも意味する所は読めなかったのですが、ダイアルアップ音の模倣に近い感じもします。
最後に1番2番のサビが繰り返されます。サビはその曲が最終的に表現したいものを詰め込む部分だと思うので、繰り返しによって現実とネット世界との狭間で葛藤する心がやはりこの曲のテーマなのでしょう。
しかし、「耳を澄ましてはいけません」と「目を合わせてはいけません」が省かれいて、代わりのように最後の最後に、
二度と聞こえはしないのです
と歌って締めくくっています。心を決めればもう戻れない、という事でしょうか。
というわけで、難解な事でも有名な「全てあなたの所為です。」の楽曲から「表」と「裏」の歌詞について自分なりに読み解いてみました。何かと理不尽な辛さの伴う現実の生活と、そこから気軽に逃げ出せるネット世界(そして逃げ出しても問題が解決しない)が共存している現代に対する、一種の風刺のようにも感じられました。
で、なぜ曲調の違う組み合わせで発表されているか、というのも気になる所だと思いますが、この「ネット世界への誘惑への葛藤」をテーマにした時、「表」が不穏な曲調なのは、まだ心が現実を大事にしようと引き留めているから、「裏」が穏やかな曲調なのは既に現実を捨ててネット世界の楽しさにはまり込み、かつての葛藤を懐かしんでいるから、と考える事ができるのではないでしょうか。とすると、歌詞の最後の「二度と聞こえはしないのです」は、「表」では最後通告、「裏」では諦めの象徴と見る事もできます。
終わりに、この楽曲のYoutubeでの発表は2019年でしたが、まだまだこれからネット世界は深みを増していくでしょう。現にメタバースやAIの台頭が目覚ましくなっています。
そんな中でも人の体を持って、人と共に支え合わなければ生活が成り立たないのはいつの世も変わりません。魅力的な「鵺の鳴く声」と上手に付き合えるよう、自分の内側も折に触れて整理しておかなければと考えさせられる、私にとってはそんな2つの歌でした。
CodaからCapoへ、そして
※この記事は音楽ゲーム『ノスタルジア』シリーズに関する感想や考察が記載されております。各種情報に関してましては、以下のサイトの閲覧をお勧めいたします。
【プレーガイド・収録楽曲紹介】:ノスしるべ
※また、ここでは『ノスタルジア』シリーズのストーリーに関するネタバレが普通に出てくると思われますので、まだ見ていない部分がある方はご注意ください。
※なお、今までの記事との齟齬や矛盾が現れると思われますが、あくまで「記事が書かれた時点ではそう思っていた」と捉えていただければ幸いです。
ノスタルジアシリーズの旋律を振り返りつつ、そこから更に新しく生まれた楽曲を味わうイベント「淵源の回廊」。真夏をかけて歩みを重ね、ついに最終章とも言える所までたどり着きました。
最初の「Da Coda」と同じく3つの色の光に包まれたどこかで、先に言ってしまいますが「Da Coda」での解禁曲と同じアーティストの楽曲が登場する、まさに締めくくりに相応しい章の名前は。
【 イベント 】
— ノスタルジア公式@Op.3好評稼働中! (@NOSTALGIA_573) 2024年8月28日
8月29日(木)10:00より、イベント「淵源への回廊 Capo」を開催!イベントではノスタルジア シリーズよりうまれた旋律をテーマに新たに紡がれた楽曲が登場します!星屑を集めて楽曲を解禁しましょう。 #ノスタルジアhttps://t.co/umtDyCATP9 pic.twitter.com/nE7l1uGgXl
「Capo」
始まりを表す音楽用語です。
私たちはOp.3から順番に旋律を遡ってきました。Op.2の「最果ての研究所」のように記憶の階段を下り、「Ra/Si/Do/Re/Mi」の解禁を終えた頃には初代の「Phantasmagoria」のごとく記憶の底に足を着けたような気持ちになったのでしょうか。
そこに現れたのが「Capo」、始まり。
とは言え、どこか新しい場所が現れるのかと思いきや、終始「Da Coda」と同じ。
解禁画面の背景も「Da Coda」と同じ夜空で、違いと言えば時計の針が今までとは逆に前に進んでいること。
やはり何かが始まろうとしているのでしょうか。
解禁曲を聴けば何か分かるのでしょうか。
***
・タイトル「Terminus of Reminiscence」
・アーティスト「猫又Virtuoso feat Sacha」
・紹介文「長い長い旅路の果て たどり着くのは」
***
「Da Coda」での解禁曲「Corridor of Reminiscence」と同じアーティストによる楽曲で、Terminusは終端を表す言葉です。回想の回廊の終端、まさに今いる所を表しているようです。おそらく場所的な終わりよりも、旋律の歴史を振り返る記憶の旅、まさにこのイベントの終わりを示しているのでしょう。
では、どのように表現しているのかですが、Capoが表す始まりよりもCodaが表す終わりの方が強調されていました。
最も目立っていると思うのは、演奏後のリザルト画面の旋律が各シリーズから取り入れられていることと、初代のストーリー楽曲「飽和世界」からも旋律が取り入れられていることです。この構成が表現しようとしていることは、おそらく”回想との別れを名残惜しむ感傷”ではないでしょうか。
ノスタルジアにおけるリザルト画面のBGMは、演奏を終えたプレイヤーを労うような独特の優しさがあり、特に最後の3曲目を終えた時には、終わってしまったなぁ…というそれこそ名残惜しさも感じさせます。そして今回のイベントの軸にあるのは「回想」。新曲を味わいながらも、所々の懐かしい旋律に触れては、あの頃の楽曲やムービーを心の中で演奏していたのではないでしょうか。
しかし、それらも、もうお終い。
回想には限度があります。ノスタルジアの旋律も初代まで遡ってしまえばその先はありません。
長い長い旅路の果てに、私たちはいつの間にか閉じていた目を開くのです。
そこに見えるのは、あの頃のあの場所などではなく、最初に踏み入った「淵源の回廊」。
優しい光に包まれながらも、もう戻ることなどできない現実を知らされます。懐かしむだけでは生きていけない現実が待っています。
時計の針は既に、いや始めから常に前へと進んでいるのです。
その現実を表しているのが「飽和世界」の部分なのでしょう。
初代ストーリーでは、黒猫クロが少女シロを失ってしまい、自分の意志で現実世界から離れていく場面で解禁されました。つまり、求めるものが無いにも関わらず生きていかなければならない現実を突きつけられたという事でもあります(クロは耐えきれなかったわけですが…)。
愛すべき記憶を回想し尽くし、避けられない終わりを受け入れなければならない私たちの心境を的確に表していると思います。
夢から覚めて、現実が始まる。その意味での「Capo」だったのでしょうか。
そう思いたくはないのですが、楽曲の終わりにはノスタルジア共通の、ゲーム終了時の旋律が流されます。
とは言うものの、現実だって悪いことばかりではありません。
時が進まなければ出会えない素晴らしさもあります。ノスタルジアだってその一つです。
「思い出に生きる事も幸せだが、目の前の新たな幸せも逃してしまう」という言葉もあります。全然関係ない漫画の台詞なんですけど。
だからこそ、ノスタルジアもまた時計の針が進んで新たな展開を見せてくれることを、やはりどうしても期待してしまいます。
そんな中、今、このイベントに一つの推測が立てられています。
「イベントの全ての楽曲の全ての難易度を解禁した時に点くClearマークが、現時点でまだ点かない」
という状況から、
「これにはまだ続きがあるのではないか」
というものです。
システム上の間違いなのでしょうか、それとも本当に続きが待っているのでしょうか。
だとすればそれは、また違う「始まり」を表すものなのでしょうか。
ただ素直には終わらせてくれない。
淵源の回廊「Ra/Si/Do/Re/Miの旋律」
※この記事は音楽ゲーム『ノスタルジア』シリーズに関する感想や考察が記載されております。各種情報に関してましては、以下のサイトの閲覧をお勧めいたします。
【プレーガイド・収録楽曲紹介】:ノスしるべ
※また、ここでは『ノスタルジア』シリーズのストーリーに関するネタバレが普通に出てくると思われますので、まだ見ていない部分がある方はご注意ください。
※なお、今までの記事との齟齬や矛盾が現れると思われますが、あくまで「記事が書かれた時点ではそう思っていた」と捉えていただければ幸いです。
3つのシリーズそれぞれの軸となる旋律を遡りつつも、新たに生み出された旋律を楽しむ「淵源への回廊」も、いよいよその始まりを奏でる時へと戻ってまいりました。
初代と呼ばれたり、Op.1と呼ばれたりする現在ですが、やはりこの呼び方が最も相応しいのでしょうか。
『ノスタルジア』の旋律と。
【 イベント 】
— ノスタルジア公式@Op.3好評稼働中! (@NOSTALGIA_573) 2024年8月14日
8月15日(木)10:00より、「淵源への回廊」で新たなイベントを開催!「crAtus / onoken」「恋と赤方偏移 / OSTER project feat. そらこ」の2曲が登場します!星屑を集めて楽曲を解禁しましょう。 #ノスタルジアhttps://t.co/3ZbMYpHbQh pic.twitter.com/M9NoXUAtW8
公開された旋律の内容は「Ra/Si/Do/Re/Mi」。ストーリーでこの流れが最初に出てくるのは、親友である少女シロを失った黒猫クロが現世を離れて「全ての記憶が集う世界」に流れ着いた時の楽曲「nostos」でした。
そしてこの楽曲ついて作曲者のwac氏から公式に紹介された事があり、その時に「レミファソラー」と言っていたのがずっと頭に残っていて、今回「Re/Mi/Fa/Sol/Ra」になるのかと思っていたら違っていたのでだいぶ驚きました。
しかし他のツイートなどを見ていたら、次に解禁される「Noar's song」の最初の旋律ではないかとか、ピアノのチューニングはラの音を基準にしているとか、そういう話を見つけまして、確かに世界観やストーリーを思い起こすとむしろそうあるべきだなぁと考えを改めさせられました。
さて、このままだと当時のストーリーがどうとかいう話に逸れていってしまいますので、先に解禁曲に触れてみたいと思います。
今回はすぐにプレーできる状況ではなかったので、またしても解禁している様子の配信を見させていただきました。いつも助かります!
[#ノスタルジア Op.3 LIVE] 240815 淵源への回廊 Ra/Si/Do/Re/Mi の旋律 https://t.co/0M4OTab5Q5 @YouTube
— EXP? (@exponent_iidx) 2024年8月15日
イベント選択画面では、今までと同じ背景が初代のテーマカラーとも言える明るい緑色に染められていました。解禁画面の方でも、同じ緑色が逆回りする時計を包み込んでいて、シリーズを遡る実感を演出しておりました。遂にここまで来たか、と。
解禁曲の方は、どちらもそんなにラシドレミを強調してはいませんでしたが、新しい試みも垣間見えた音楽ゲーム・ノスタルジアに関わったからか、アーティストとしての郷愁と熱情が存分に込められているように聞こえました。
まずは、ボスの風格の再来であるこちらから。
・タイトル「crAtus」
・アーティスト「onoken」
・紹介文「それでも君は神を負うのか」
初代でonoken氏といえば、絶対唯一無二と言い切ってもいいでしょう「zeeros」!今回も存分にzeeros要素が組み込まれていて、関連性というものを考えさせてきます。
zeerosは、記憶の集う世界でクロを導いていた階段の終点で解禁された楽曲で、そこでは階段の主である少女ノアと、いなくなっていたが密かにクロを追っていたシロが一堂に会するという、ストーリー上の一つのクライマックスでした。知らない人には背景情報が足りなさすぎて何が何やらな文ですが、ノアとシロにはただならぬ因縁があり、望まぬ再会が引き起こす感情の揺らぎが楽曲でも的確に表現されているのは確かです。
ちなみにzeerosという言葉は、ギリシャ神話において熱意・激情・対抗意識を司る神を指しており、二人の因縁を表しているようでもあります。因縁の詳細は次の解禁曲「Claustra」にて明らかにされていきます。
そして今回の「crAtus」は、zeerosの兄弟にあたる神の名だそうで、力や強さを司るとのことです。もしこの曲にストーリー上の関わりがあるのだとすれば、紹介文の問いかけも相まって、激情ゆえに階段の主となる力を得んとするノアに覚悟と責任を問うているような印象も浮かび上がってきます。
では続いて、もう片方の解禁曲。
こちらはストーリーよりも、ノスタルジアというゲームの始まりを思い出させる内容であるかと思われます。
・タイトル「恋と赤方偏移」
・アーティスト「OSTER project feat. そらこ」
・紹介文「140億紡いだ先の私たち 確かに鼓動する小さな銀河」
アーティストのお二人は、初代の稼働時から収録されていたノスタルジアオリジナル楽曲「羊皮紙の上の銀河」を提供しており、今回の楽曲にもその旋律が多く組み込まれています。あの頃のノスタルジアへの印象などを振り返りながら今ある思いを描いたような、アンサーソングとも言える位置づけなのかもしれません。
とは言え、この楽曲に関してはOSTER氏が多くのツイートを投稿して下さっていますので、ここでどうこう言うものでもないでしょう。ぜひ見に行って下さい!
(ストーリー偏重の私には首の回らない範囲でございます…)
ということで、淵源の回廊「Ra/Si/Do/Re/Miの旋律」と解禁曲について触れてみました。前回までのもそうですが、ストーリーを振り返るきっかけが与えられるというのは嬉しいもので、これもノスタルジアならではの演出だなあ、としみじみしてしまいます。
で、初代ストーリーの一部を振り返ったりしたわけですが、せっかくなので語っておきたいことがもう一つ。
Op.3ストーリーとの繋がりです!
Op.3では終盤に突然初代との共通点が描写され、エンディングの最後の最後に、シロがクロと読んでいた物語がOp.3であったという衝撃の事実が描かれていました。初代からそのような構想があったとすれば、戦略が深淵すぎて恐怖すら覚えます。
ですが、他にも繋がりというか共通点が見受けられます。それはOp.3の終盤に姿を現した王と、初代のノアとの共通点です。
王は周囲からの信頼が厚かったようですが、何かのきっかけで反乱という裏切りに遭って死亡し、忘れ去られた存在となってしまいました。しかし、忘れ去られた奥底で再起の時を待ち続け、自身の心を受け継いだ子孫を通した復讐を狙っていました。
そして初代のノアは、最初はシロの孤独を慰めるために心の中に創造されたものの、クロとの出会いによって心の物陰に追いやられてしまいました。しかし諦めずにシロとクロを見つめ続けて機を伺い、シロが記憶の世界の存在となったことで自由になったのか力を振るい、逆にシロを陰へと追いやり、クロの親友へと成り替わろうとしたのでした。
さらに、ストーリーの序盤から機を伺っている様子が伏線として描かれていたことも共通しており、ノアの動きがシロの読んだ物語つまりOp.3の影響を受けていることが感じ取れます。だとすると、ノアはどこまで行ってもシロの心の一部にすぎない事実が浮き彫りになって寂しい気もしますが…。
はい、ついでのお話でした。最後までありがとうございます!
淵源の回廊は遂に初代まで遡りましたが、最初の「Da Coda」という特別な演出を踏まえると、締めくくりとしての何かが待っているような気がします。それが純粋な締めくくりになるのか、次なる何かを想像させるものなのか。
いよいよ目が離せません!
淵源の回廊「Do/Re/Sol/Miの旋律」
※この記事は音楽ゲーム『ノスタルジア』シリーズに関する感想や考察が記載されております。各種情報に関してましては、以下のサイトの閲覧をお勧めいたします。
【プレーガイド・収録楽曲紹介】:ノスしるべ
※また、ここでは『ノスタルジア』シリーズのストーリーに関するネタバレが普通に出てくると思われますので、まだ見ていない部分がある方はご注意ください。
※なお、今までの記事との齟齬や矛盾が現れると思われますが、あくまで「記事が書かれた時点ではそう思っていた」と捉えていただければ幸いです。
ワンテンポ置いて追加が来ました「淵源への回廊」。
次なる章は、予想していた人も多かったであろうOp.2の旋律!
【 イベント 】
— ノスタルジア公式@Op.3好評稼働中! (@NOSTALGIA_573) 2024年7月31日
8月1日(木)10:00より、「淵源への回廊」で新たなイベントを開催!「4つの音の終止点によるimpromptu / red glasses & m@sumi」「The Pinnacle / Osamu Kubota」の2曲が登場します!星屑を集めて楽曲を解禁しましょう。 #ノスタルジアhttps://t.co/JQtBPw4tBG pic.twitter.com/Dz0zDlO5ta
Do/Re/Sol/Miは、他のシリーズと違ってストーリーの登場人物と言ってもいいぐらい中核に食い込んでいましたから、今でもこの4音を聞いただけで感極まる人は多いのではないかと思います。
イベント選択画面は、今までと同じ背景がセピアっぽく色褪せた感じになっていて、つまりOp.2当時の色彩が用いられていました。当時も穏やかでありながらどこか淡白な印象を与えていて、ストーリーの舞台となる世界が何者であるかを強く表していました。
ちなみに今更ですが、「Da Coda」で背景が3つの色で塗り分けられているのは、それぞれの作品のシンボルカラーだったようですね。
続いて解禁画面の方ですが、今回は巻き戻る時計の背景が夕暮れの色になっていました。これがOp.2の色彩を意識しているのか、前回の夜空から時が巻き戻っている演出なのかは分かりません。
さて、いよいよ実際に解禁される楽曲に触れていこうと思うのですが…。
これこそ私個人の解釈になってくるものの、ストーリーとの関連を直接推測させるような感じはありませんでした。ストーリーだけではない、Op.2全体を思い出しつつ作曲したような印象です。
まずは1曲目として、久々のコンビによる楽曲。
・タイトル「4つの音の終止点によるimpromptu」
・アーティスト「red glasses & m@sumi」
・紹介文「4つの音とそれぞれの旅路 出会ったモチーフによる即興曲」
アーティストのお二人はどちらもノスタルジアにたびたび楽曲を提供されており、BEMANIスタッフでもなかろうにノスタルジアの顔役みたいになっている方々です。Op.2ではそれぞれストーリー楽曲も提供された上に、今回のように二人で組んで「少年と少女のためのラプソディア」も書き下ろして下さいました。
「4つの点の~」は、まさにその楽曲をベースにしているように聞こえてきます。その中にDo/Re/Sol/Miのフレーズが混じっており、ストーリーの旅路を共にした4者の姿をふと思い起こさせます。そう、ふと、と言うように「少年と少女の~」の方が印象強く、ストーリーを補完するような位置づけではないのかな、と正直思ってしまいました。まあ、このイベントのそもそものコンセプトが「ノスタルジアシリーズから生まれた旋律が~」というストーリーに限っていないものなので、自分の期待が偏っていただけと言われればその通りです。
ときに、タイトルの「4つの音」という表現に記憶を刺激された方もまた多いことと思います。色褪せた別世界で、少年、少女、ロボ、白い鳥のそれぞれが主人公である猫と共に記憶もしくは心に基づいた島々を巡り、最終的に何故そのような旅路に至ったかを知るに至るわけですが、旅を終えた印として1つの音がプレイヤーに提供され、ある所に入る為に4つの音を繋げて鳴らすと、いよいよ猫自身のストーリーという最終章にフォーカスが移るというギミックがあったのでした。
その旋律が、まさにDo/Re/Sol/Miだったわけです。それはストーリー開始時、何の背景も分からないの猫との繋がりを示す、唯一の情報でした。最終的に4つの音を繋げた後、楽曲「minne」がその完成形として現れるわけですが、作曲者であるwac氏はここで音楽と記憶の密接な繋がりについて深く語っていました。つまり、4者の記憶から読み取れる共通した心情が猫の背景を蘇らせたということになり、実際そのようなストーリーでした。そして先述の通り、そこから最終章が始まります。
猫を含めた皆に共通していたのは、不運や不遇や不条理によって命を失ったという過去と、その際に母としての愛を求め続けていたという心情。ストーリーの舞台は死後の世界のような場所で、猫はここで一緒に穏やかに過ごし続ける選択肢もありながら、自分を目覚めさせてくれた友の願望を思い、死の闇に立ち向かうよう友を支え、その心の力を合わせて新しい未来の世界を切り拓いていきます。ついに、少年、少女、ロボ、白い鳥は自らが望んだ新しい結末へと辿り着き、旅路は本当の終止点を迎えたのでした。
そこまでの経緯を踏まえた上での楽曲「4つの音の~」であろうことは確かなのでしょうが、私たちもそこまで思い出しながら聴くことで、大きな慰撫に包まれるような気持になれるのではないでしょうか。
それでは2曲目を見てみますが、こちらがまさにストーリーだけではない側面が思い切り出ているように思います。
・タイトル「The Pinnacle」
・アーティスト「Osamu Kubota」
・紹介文「歴史を弾ききり頂を極めた貴方にしか見ることが許されぬ終極の情景の主題曲」
さて、先程の「4つの音の~」が4者を指し示していそうだったのでこちらは猫自身の方かと思っていたのですが、楽曲全体がゴリゴリのヘビーなオーケストラだった時点で予想とのあまりのギャップに画面の前でふらっとしてしまいました。
実際に聴いていると、今回のアーティストであるOsamu Kubota氏がOp.2に提供された「Scandal」の旋律や構成が散見されたので、氏が当時のことを思い出しながら作曲したのかもと思うのですが、X(旧Twitter)では「切り立った道をともに新たな頂上を」と言っていたので、とんでもなく高い視点から構想したということなのでしょうか。Pinnacleは頂点を意味するそうですし。
いよいよ明日解禁!
— Osamu Kubota (@osamukubota) 2024年7月31日
音ゲーの偉大な歴史の系譜をまるっと背負って切り立った道をともに新たな頂上目指して進ませていただきたく思います。
散りばめられた懐かしい旋律も見つけて下さいね。#gaQdan 土屋雄作のVlnと #NikolinaJanevska のメゾソプラノも必聴。#osamukubota #オサクボ #ノスタルジア https://t.co/G6cJgGRKC5
他にもノスタルジアに提供された楽曲の旋律が混じっているようですが、他の部分に圧倒されすぎて私には分かりませんでした。ていうかメゾソプラノの歌声が正直怖いよぉ…。
ということで、ストーリー偏重のこのブログでは、この楽曲から語れることは出てきませんでした。Kubota氏の楽曲はそれぞれ強い世界観を見せてくれて好きなんですけども。それゆえに今回は神罰的で怖すぎたんですけども。人類がこんなとこまで登ってくるな的な。
こんなところでしょうか。
今回はストーリー以外の部分でのOp.2が強く出ていましたが、ストーリー以外ってどんなだったっけなぁ…と思うのが素直な所です。ただ、ストーリーも含めて、現実の季節の流れをとても意識していたのは印象に残っています。ゴールデンウィークの時期に鳥が羽ばたいたり、梅雨の時期に少年が豪雨に遭ったり、すごく入り込みやすい構成のOp.2だったと今でも思っています。素敵。3作の中で一番好き。
さて、この感じで行けば次は初代がテーマになりそうですね。やはりレミファソラ~になるんでしょうか、待ちきれません!