『ノスタルジア』の落書き帳

音楽ゲーム『ノスタルジア』に関して考えていることを、ちまちま書いていきます。一応Twitterもあります→@crt14display

王は慰められぬ。

※この記事は音楽ゲームノスタルジア』シリーズに関する感想や考察が記載されております。各種情報に関してましては、以下のサイトの閲覧をお勧めいたします。

【更新情報・システム内容】:BEMANI wiki 2nd

【プレーガイド・収録楽曲紹介】:ノスしるべ

 

※また、ここでは『ノスタルジアOp.3』のストーリー第10章「晦冥」に関するネタバレが普通に含まれておりますので、まだ見ていない部分がある方はご注意ください。

※なお、今までの記事との齟齬や矛盾が現れると思われますが、あくまで「記事が書かれた時点ではそう思っていた」と捉えていただければ幸いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やはり来ました、連続更新。

第9章にてエピソードゼロが語られたことで、Op.3の舞台に潜んでいたものが明らかにされていっています。

 

世界の中心に隠されていた、全ての記憶が還る場所。

その底に沈む、今は人の世から忘れ去られた、1つの国。

かつて治めていた王の存在と、その悲しき終末。

 

しかし、王の心はその鼓動を止めてはいませんでした。

今は3つとなった王国のそれぞれに、自身の欠片を送り込んだのです。

次の王となる者たちに、ひとつずつ。

自らに代わって世界を見つめる鳥たちに託して。

 

そして王は、ただ待ちました。

王が求めるものを、あの3人が十分に得られるまで。

暗闇に耐えて、永遠にも思える静謐を受け入れながら、土の中で芽を出す時を待つ種のように。

 

どのくらいの年月が経ったのでしょうか。

しかし王にとっては今更同じことかもしれません。

あの3人が王となり、閑やかなる日々の内に、王としての記憶を十全に育んでいたのです。

自尊・慈愛・正義。

かつて自身の内に満ちていた力と共に。

 

これこそが、求めていたもの。この手に取り戻すべきもの。

”其の時”は来たのです。

 

 

……とか、そんな流れでしょうか。ストーリーの前半部分が、実は他の誰かの視点も含まれている、という展開はまさに初代のそれですね。

これに対して使い回しという批判ではなく、吉本新喜劇のような「既に知っているが期待していたもの」として受け取っているのは、だからこそノスタルジアノスタルジアとして輝く要素だからなのでしょうか。

 

あと、今回考えてて思いついたのが3人の出自についてで、2章のムービーでは赤子の状態で鳥に運ばれてきた彼らを歓迎する描写がされてはいましたが、追放した亡国から来た者を、たとえ忘れ去られていたとは言え歓迎するものだろうかと、途中から疑問だったんですね。何か偽の伝承が残されていたのかと(そしてそれも王の策略かと)以前まで思っていたのですが。

子どもが生まれる仕組みを「コウノトリが連れてきてくれる」という幼児向けの言い方をふと思い出しまして、それを盛り込んでいるんじゃないかと思いついたんですね。

つまり3人はそれぞれの国で普通に生まれてて、そこに亡国の王が自分の欠片を鳥に運ばせ潜ませたのではないかと考えたわけです。だから1章では鳥たちが光をくわえているし、2章ではコウノトリでもいい所をそれぞれの鳥が運んできた描写になっている、と。

 

となると、前回言っていた「自分の欠片を赤子として送り出した」という話が丸々ボツになってしまうのですが、まあ今回の解釈の方が、3人がそれぞれ辛い日々を過ごしたりまほろばの噂に振り回されたりするのも、王の一部ではない領域での話になるので辻褄は合ってくるんですよね。

そうなると、前章で王が3人を歓迎するようなポーズを見せたのは、「ご苦労だったな、運び屋」みたいな皮肉を込めた挨拶だったのでしょうか。余計タチ悪いな…。

 

という今更な話もしてたら、前置きが伸び伸びになってしまいました。

では改めて、念願叶って3人から王たる記憶を集めることに成功した所から。

 

第10章「晦冥」です。

暗転のような意味を持つ言葉だそうですが、見た目の内側の暗黒が際立つ内容であったと思います。

 

 

【渇求】

コメント:待ち望んだ時

解禁楽曲:終曲「黒の狂」

楽曲コメント:荒々しく脈打つ黒い鼓動

かつきゅう、と読むのでしょうか?もはや地名ではなく王の心の中ですね。

マップ画面の方も、最早もみの木の袂ではなく、モノクロ反転して中心が歪んだ例の壁画になっています。

が、よく見るとこれは「天使の追放」のイラストの上半分になっています。実際、解禁曲のイラストもこれに10章の要素をかぶせた形になっており、やはり王は追放された天使の側であることが確信できるかと思います。

…これ、検定での解禁に気づいてない人からすると、ますます何のこっちゃになるんじゃないでしょうか。知らない人がいたら教えてあげよう!

 

さてムービーでは、渇求の文字通り長らく待ち望んでいた記憶を遂に手に入れた王が、ノイズ混じりの頼りない姿から一転、眩いばかりの光に満たされていきました。王冠の部分はまるで天使の翼のように広がっていて、さらに力が溢れんばかりです。

 

そして背景には、天使の追放のイラスト。

 

今、地上で人生を謳歌している人々に対して「お前達が追い落とし、記憶の底に消し去ったのが何者であるか、思い出させてくれよう」という強烈な復讐心が伝わってくるようです。

そして解禁曲の名前は「黒の狂」。狂の字は獣と王を組み合わせて出来ています。復讐という黒い感情に支配されて、まさに獣のごとく力を振り回そうとしているのでしょう。

前回の考察では「在りし日の姿を取り戻したいのでは」と書きましたが、ともすると3つの王国を滅ぼし、かつての王国を蘇らせるつもりなのかもしれません。もしかすると、王に呼応して色々な存在が続々と復活してくる可能性もあります。

 

いずれにせよ、このままでは世界の危機が訪れる。

同じように直感したのか、3人は立ち上がり、手を取り合って、共に戦うことを約束するのでした。

 

 

ムービーとしては以上です。なんだか短めでしたね。

個人的には記憶を奪われたりしたら廃人同様になっちゃうんじゃないかとハラハラしてたんですが、そんな事もないようでホッとしています。でも、ノスタルジアにとって記憶は心、人生と等しいものなので、奪われている=死に追いやられている=郷夢の底から戻れない、という状態なのかも知れません。

 

自分たちのためにも、力を合わせて頑張れ!

たぶん、またすぐ第11章だ!

というか猫はどうした!

お楽しみに!

 

 

 

といった所で、後は余談のようなものです。

 

まず、今回の解禁画面なのですが、王冠を抱いた三日月が雲に覆われた星屑(もみの木のてっぺんと思われます)を見つめているような場面が描かれていました。

憶えている方も多いと思いますが、この三日月は初登場ではなく、1章の解禁画面で出てきていたもので、当時は王冠は無く、また完全に雲に覆われていたと思います。それが今回で雲が少し晴れていて、その向こうにもみの木があるということは、王は初めから袂にいたのではなく、さらに後ろにいた=完全な暗闇に押し込められる程に弱っていた、という想像もできるのではないかと。

そして何故雲が晴れたのかと言うと、考えられるスイッチは、王が求めていたものを3人が手にした事でしょう。欠片と言えども王の一部、つまり3人が王らしくなればなる程、その力は欠片にも反映されて、王の回復を促したのだと思われます。

そのような関係性があるのだとすれば、4章で3人が集められた夢の中は、王がようやくもみの木を認識できた状態に、それぞれの欠片が共鳴したものと捉えることもできます。しかしその夢によって3人が結束するきっかけを与えてしまっているという矛盾はあるのですが…。

 

もう一つ、今回の楽曲の作曲者は、なんと昨年KONAMIを退職したAkhuta氏であり、驚いた人も多いようです。

つまりこの楽曲は退職以前から用意されていたものであり、ノスタルジアのストーリーがいかに予め練りこまれたものであるかを思い知らされる出来事となりました。

もしかすると、Op.3が始まる前から全ては整っていたのかも知れません。むしろ、初代もOp.2も、そのように準備しきってからリリースされていたのではないでしょうか。

 

色々な側面で考えさせられる事が多いですね。

ノスタルジア、楽しくて楽しみなゲームです!