『ノスタルジア』の落書き帳

音楽ゲーム『ノスタルジア』に関して考えていることを、ちまちま書いていきます。一応Twitterもあります→@crt14display

『ノスタルジアOp.2』闇路の旅④

※この記事は音楽ゲームノスタルジアOp.2」のストーリー内容に関して、個人的な考察を記録する内容となっております。攻略情報や今後の更新予定などにつきましては、「Bemani wiki 2nd」、詳細な曲紹介を含んだ情報なら「ノスしるべ」の閲覧をお勧めいたします。私も非常にお世話になっております。

 ※また、2019年11月2日現在公開されている内容に基づいた記事となっております。つまりネタバレ全開となりますので、現在進行中の方はご注意ください。

※「闇路の旅①」と共通している部分がありますので、それは省略しております。

※解釈については以前までのストーリー考察記事の内容を基本的に踏襲しておりますが、依然として「これが正解だ」と主張するものではなく「この線ならある程度以上筋が通る」という観測に基づくものです。恐縮ですがご留意願います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「記憶の終着駅」の旅も、いよいよ4者全員のエンディングを見ることができるようになりました。これからこのステージを始めるという人にとっては、花畑→崩壊→それぞれの終点…という順序を踏むことになりますので、必要な星屑の数で言うならば、100+116(解禁曲1+課題曲28を平均4点で計算)+304(76×4者)=520となります。数字で見るだけでも、何て長いステージなのかと驚かされますね。それでも「彼らの旅は何のためのものだったのか」が示される最重要なステージだけに、多少の苦労は相応と思えます。

 さて、このブログにおいて最後に残った闇路の旅のキャラクターは、ペリカンでした。舞台のスケールが大きすぎたからか実はあまり親近感が湧かなくて、「試練の活火山」までストーリーを見終えた後も、結局何を求めての旅だったのかがよく分かりませんでした。

 そんなこんなで辿り着いたエンディングでは、「あ、なるほど」の一言が喉をつっつき続けていました。とはいえこれも私個人の解釈になりますが。

 ムービーにおいては、闇の果ての向こうに浮かぶ肥沃な湿原と、列車に乗ってやって来る別のペリカン

 誰だ!?…と正直驚きましたが、よくよく思い出してみれば「はじまりの場所」で駅のピアノに触れていたペリカンたちの片方だったのかも知れないですね。

 二羽はその羽で強く抱きしめ合い、猫を列車に招きますが、やはり猫は首を横に振ってその場に残ることを伝えます。

 飛び立つ列車。両方の羽を全力で振って感謝を伝えるペリカン(可愛い!)。そして全ての友はそれぞれの「新しい未来」へと去って行きました。独り残された猫のその後は、まだ見ておりません。

 目を覚ますと、そこは湿原。たくさんのペリカンたちが安心してくつろいでいる中、彼(?)自身は新しく卵から生まれた所。すぐそばにいる親にしっかりと寄り添います。やがて少し育ったあたりで、ふと目にした所に不確かなシルエット…猫の形をしているようなシルエットが見え、すぐ消えていきました。

 不意に浮かぶ涙と、猫との旅のイメージ。

 あのね、と不思議な旅の物語を聞かせるために彼は親に寄り添い、その向こうを列車が通り過ぎていくのでした。「大丈夫。それは夢じゃなくて、記憶だよ。夢のようだっただろうけど」と告げるかのように。

 

 ムービーは以上となります。やっぱりスケールの大きいエピソードでした。他のキャラクターのような個人的な記憶によってではなく、DNAに刻み込まれているレベルの、時と世代を超えてなお保たれている記憶によって為された旅だったのではないでしょうか。その一つのしるしが、これまでの記事で先達の影と書いてきた、あのシルエットです。卵から生まれて猫のもとで育った…つまり何も教わったことのない彼が、ただただ自身に備わる感覚だけであそこまで辿り着いたのです。たとえ「化石の砦」で永い年月の間ひとりで取り残されようと消されることのない、辿り着くべき安らぎの場所の記憶…それが先達、エンディングの後では親鳥と言って良いでしょう、そのシルエットとして描かれたのだと思われます。

 しかし旅路の中ではシルエットが浮かんで消えただけで、誰にも会うことはできませんでした。時の流れの残酷さです。ということは、「試練の活火山」へ向かったのは、新天地を求めたが故のことでしょうか。火の鳥に焼かれて力尽きてしまいますが、それでもなお、あの記憶は彼を導き続け、死を越えた「新しい未来」へと到達させました。解禁曲「虚空を飛ぶ鳥は誰の夢を見るか」のイラストでは、活火山の上空を光へ向かって力強く飛翔する彼の姿が描かれていますが、ここからも記憶の力は死をも上回り得るという感動を伝えてくれます。また、曲名が投げかける問いに答えるとすれば、「誰」というのは彼自身と言えますし、命を持つあらゆる存在とも言えそうです。大げさすぎますかね。

 そして、「新しい未来」で再び生まれた彼もまた、誰に聞いたわけでもないのに猫との旅の日々が思い浮かび、涙すらあふれ出ています。あの旅路は、時と世代どころか命をまたいで受け継がれる記憶となったのです。

 人は生まれた直後の段階においては、まだ「生まれる前の記憶」を持っている…なんて説がいつの時代も浮かんでは消えているように感じますが、やっぱりあながち嘘ではない気もしてきますね。

 

 

 

 

 さて。

 猫が、独りになってしまいました。先ほどもちらりと書きましたが、この先はまだ見ておりません。

 旅路を共にした全ての友を見送り、「記憶の終着駅」は「誰もいない場所」(「はじまりの場所」のリサイタルステージのコメント)となりました。

 猫は果たして、どこへ向かうのでしょうか。

 それとも、ここで、何かが起こるのでしょうか。