『ノスタルジア』の落書き帳

音楽ゲーム『ノスタルジア』に関して考えていることを、ちまちま書いていきます。一応Twitterもあります→@crt14display

『ノスタルジアOp.2』:記憶の終着駅

※この記事は音楽ゲームノスタルジアOp.2」のストーリー内容に関して、個人的な考察を記録する内容となっております。攻略情報や今後の更新予定などにつきましては、「Bemani wiki 2nd」、詳細な曲紹介を含んだ情報なら「ノスしるべ」の閲覧をお勧めいたします。私も非常にお世話になっております。

 

 2019年9月26日、稼働一周年のタイミングで解禁された島「記憶の終着駅」をひとまず最後まで進めることができました。

 以前のストーリー考察において、私は以下のように記しておりました。

死に際して(もしくは死を経て)、何も見えなくなり、誰の声も聞こえなくなったとき、彼らはあの駅で聞いた、優しさに満ちた旋律を頼ろうとしたのでしょう。しかしそれはとうの昔に記憶から抜け落ちており、自分の力だけでは全てを思い出せないのでした。

 やがて記憶は「最果ての研究所」に集まり(集められ?)、ピアノの傍らで全てを聴き続けていた猫だけは「はじまりの場所」のピアノから自由に再出発し、皆の中心として夢に似た世界の旅という形で追求を続け、それぞれが持っていた旋律の欠片が一つに統合され、ついに「はじまりの場所」にて旋律の全てがよみがえったのです。

 そしてそれを聴いた彼らは、猫はどうなっていくのか。

  「記憶の終着駅」はそんな私の考察への一つ結果発表みたいな存在となりました。

 どうだろう…まあ、繋げられなくはない、のかな。

 では、この島のストーリーについて考察していきたいと思います。

 

※以降に記載しているのは、「これが正解だ」と主張するものではなく「この線ならある程度以上筋が通る」という観測に基づくものです。恐縮ですがご留意願います。

※また、2019年9月30日現在公開されているストーリーを全て進行させた状態での考察となっており、ネタバレ全開な内容になっております。現在進行中の方はご注意ください。

 

 

 

 

 

 ゲーム上では島に入る手続きを踏むのですが、ムービー上では「はじまりの場所」のピアノに浮かぶ光を猫が手にした時、花畑と青空が無限に広がる場所へ移っていた…という流れになっています。光を手にした時に流れるのが、和音を伴う「minne」の冒頭の旋律で、求めていたものにようやく辿り着いたという満願成就の喜びが伝わってきます。

 美しく、居心地がよく、非現実的な花畑の中、しかし猫はじっと佇んでいます。そう、ひとりで、です。共にあの旋律を探し求めた友たちは、どこに行ってしまったのでしょう?…しかし間もなく、それに答えるように少年・少女・ロボット・ペリカンが猫の前に現れます。

 少女の胸に飛び込んで、皆との再会を喜ぶ猫。この動きの差から、自分の辿り着いた場所が正解であると確信したのではないかと思えます。この辺りの喜びが、最初の解禁曲「花のように微笑むように」に表れているのでしょうか。

 私の考察からすると、それぞれが死に際して求め、しかし一部しか思い出せなかった安らぎの旋律に再び出会えた結果としての花畑となるので、ようやく救いを得ることができたのだろうと、まあ、画面の前で安堵しておりました。

 

 が。

 

 次の瞬間、花畑は一斉に枯れ果て、世界全体が色を失ってしまいます。余りに唐突な変化に唖然とする一行。画面の前の私も唖然。

 そして始まる、旅の記憶を辿る旅。

 具体的には、今までに解禁されたストーリー曲が順番に課題曲として提示され、「minne」までの全てを演奏していくという流れです。その数、実に28曲。1プレーが3曲保証なので寄り道無しでも10プレー。星屑換算で、上級者でもなければ平均4点として、28曲分なので112点。…言うほど理不尽な数でもありませんでした。解禁当日に全部やった人もいるようで、手指は大丈夫なんでしょうか…。

 それはともかく、全ての課題曲を辿り終えると解禁される楽曲「Fear the Merry」の演奏後に流れるムービーでは、枯れ果てた世界すら割れて失われてしまい、一行は完全な暗闇の中に取り残されてしまいます。

 

 これが、この旅の最終的な答えのようです。

 解禁曲のコメントである「残された感情が 辿り着いた 墓場」、リサイタルのステージ名の「灰色の終着点」、その説明「世界の最果て」。

 あえてストーリー曲を全て演奏させたのは、それだけの数の物語に触れてきた旅の意味を強調させるためだったのでしょう。

 旅の意味。

 それは、「死を遂げること」なのだと考えられます。上述した以前の考察では「死に際して」と記しましたが、どうやら肉体的には既に死んでいるようです(ペリカンにおいては明確でしたね)。しかし死がどうこうよりも、どうしても思い出して心を委ねたい旋律があり、その強い想いと「最果ての研究所」が呼応したのかも知れません。と言っても研究所に関する情報が無さ過ぎて、この辺は想像しかできませんが…。

 しかし、目的は果たされました。一つの旅は終わりましたが、それはいよいよ本来行くべき所へ行く「準備が整った」ことも示していたのでしょう。

 少年は。少女は。ロボは。ペリカンは。そして猫は。

 戸惑いながらも、死を全うしようとしています。もしかすると、皆はまだ自覚していないのかも知れません。

 

 そこに、光。小さくも何より強い光。先程猫が手にした光と同じに見えます。

 光の中には輝く姿がありました。…双子に愛情を注いだ母、ロボに行くべき道を示してくれた先輩(?)ロボ、ペリカンに使命を与えた太古の先達の影。

 光は皆にその存在を示した後、ゆっくりと飛び去って行きました。

 何者も死を避け続けることはできませんが、たとえ死を迎えたとしても決して孤独にはならない、標となる光は必ずそれぞれに現れるのだ…そんな希望を最後に感じさせるムービーでした。

 ……親猫の姿が出てこないんですよね。猫と光は既に結びついているからなのか、猫が何か特別な立場だからなのか、今は分かりません。光は猫だけの為ではないと言うことかも。

 

 …とは言うものの、光が去る場面は先導ではなく決別という見方もできるわけで、しかしそれではただただ寂しいだけじゃないか、ということで先導の方を採りました。

  しかしまあ、驚きましたね。ゲーセンで死をどっぷりと思わせる演出をするゲームなんて私は出会ったことがありませんでした。基本盛り下がりますからね、そんなの。しかしそこはノスタルジア。そもそもが派手に盛り上がるためではなく、音楽を通してくすぐられる感情に想いを馳せるために作られているように思いますので、死という深いテーマが扱われるのはむしろノスタルジアらしいと言えるのではないでしょうか。

  「あれだけ色んな思いをさせられながら旅して、ようやくminneという安らぎに満ちた楽曲に出会えた結果、オチが死だとかあんまりじゃないか」という声もあるかも知れません。しかし(私の考察ですが)皆が死を経ている以上、その事実から目を逸らすわけにはいかないでしょう。事実を無視した安らぎに向かったところで、それは一時しのぎにはなるかも知れませんが、結局は儚い虚構に終わるのです。

 死という究極の崩壊を受け入れてなお、辿り着ける新たな安らぎがある。それは生まれる前に居たかも知れない場所。

 Op.2の旅人たちは、命のノスタルジアへと歩んでいるのかも知れません。

 

 エンディング的な演出は結局無かったので、まだ続きが用意されていると理解して良いのでしょう。

 しかしマップ上の「記憶の終着駅」はブラックホール的なもの。その先は研究所の機器の無い場所。続きが出るとして、果たしてそれは従来のマップの続きに置いて良いものなのか?ひょっとして色々と一新されるのか?別に何も気にされないまま従来通りに続きが出て来るのか?

 心くすぐられてたまりませんが、たぶん早くて1、2か月先の話でしょうし。

  今は、ただ、備えよう。